Q:
私は38歳の女性です。川口の坂下町に夫と4歳の娘と一緒に住んでいます。
昨年(2020年)、コロナ禍が始まり、夫の収入が減少したことから、私も働きに出ることにし、昨年(2020年)の7月頃に近所の飲食店の従業員として雇われました。ですが、その店では感染対策が不十分だったこともあってか、年末頃に、新型コロナに感染してしまいました。
症状がきつかったので、店長に伝えたしたところ、私が休むことで店の売上が減るから、その分の損害を賠償してほしいと言われてしまいました。この請求には応じなければならないのでしょうか?
また、店の評判が落ちるから辞めてほしいとも言われました。感染対策も不十分ですし、あんまりな対応でしたので、こんなお店は辞めてもよいと思ったので辞めますと伝えたところ、違約金を支払ってから辞めろと言われました。
たしかに、雇用契約書には、「労働者が勤務開始後、1年前に辞める際には50万円の違約金を支払う」旨の条文があります。ですが、あまりにもひどい対応ですので、支払いたくはありません。
そこで、専門家の先生のお知恵を借りたいと思い、ご相談させていただきたいと思います。

A:
今回のご相談は労働に関する事件ですが、相談内容は大きく2点ありますので、順番にご説明していきます。

1 損害賠償請求の要件
まず、損害賠償義務を負う場合の一般的な要件について説明します。
民法では、債務不履行について、「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし、その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない」(民法415条)と定めています。
労働契約がある場合、使用者と労働者の関係は雇用関係にあり、使用者が賃金を支払う代わりに、労働者には労働義務等があります。
そのため、労働者が労働義務等に違反した場合、「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき」にあたり、そのうえで、労働者に「責めに帰すべき事由」すなわち責任がある場合には、債務不履行により、使用者に対して損害賠償義務を負うことになります。
もっとも、違法・不当な命令には従う義務はありませんし、損害賠償の範囲については、使用者に生じた損害を全て賠償することが求められるわけではありません。
細かい議論は割愛しますが、一般的には、債務不履行と損害の間に、相当因果関係、すなわち、その債務不履行があったから、その損害が生じることになったという関係が必要です。

2 違約金について
(1)法律の立て付け及び趣旨

次に、労働契約に定められている違約金について説明します。
法律では、違約金について「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償を予定する契約をしてはならない」と定めています(労基法16条)。
このように定めているのは、契約期間の途中で退職した場合に違約金を支払う旨の定めをしておくと、労働者の意思に反してでも、雇用関係の継続が強制されることになり、労働者の退職の自由を奪うことになるからです。
(2)裁判例
この違約金が問題となった事件として、美容室の従業員が「勝手わがままに」退職した場合には、採用時に遡って月4万円の美容指導料を支払うという約束がされたという事件で、裁判所は、この約束が労基法16条に違反するとの判断を下しています(サロンド・リリー事件・浦和池判昭61.5.30労民集37巻2・3号)。
労基法16条に反するような契約は違法であることから、その契約に定められた金員は支払う必要がないことになります。

3 相談に対する回答
それでは、これまでの説明を前提に今回のご相談について検討してみます。
まず、店に対する損害賠償責任ですが、先ほど説明したとおり、損害賠償義務が認められるためには、労働者に債務不履行と帰責事由、つまり責任がなければなりません。そして、さらに損害との相当因果関係が認められることも必要です。
そうすると、コロナに感染したことで勤務できなくなったことで、労働義務は履行できなくなるものの、そもそもお店の感染対策に問題があるうえ、コロナに感染したこと自体は結果論にすぎず、ご相談者に責任はないことから、帰責事由が認められません。
また、ご相談者はあくまで一店員であり、店の売上を大きく左右するほどの影響力があるとはいえず、ご相談者が勤務できないことと、店の売上の減少に相当因果関係があるとまでの事情も見出しがたいといわざるをえません。
したがって、店長の主張するような損害賠償義務を負担するいわれはありません。

次に、違約金の問題についてですが、雇用契約書の文言が正確に分からないため、断定まではできませんが、「労働者が勤務開始後、1年前に辞める際には50万円の違約金を支払う」との内容では、労働者としては1年間、違約金を請求されることをおそれ、退職したくてもできず、退職の自由を阻害されることは明らかです。
そこで、この違約金条項も「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償を予定する契約をしてはならない」場合に当たるものと思われます。そのため、こちらの違約金についても支払義務はありません。
以上の通りですので、辞めるにあたり、賠償金や違約金を支払う必要はないことを店長に伝えてみてください。
ただ、そのように伝えても、話の分からない人であれば、店長が応じない可能性はあります。その場合には、調停や裁判などで決着をつけざるをえないでしょうから、弁護士などの法律の専門家に相談された方がよろしいと思います。